和華僑ビジネス!新たなる決意と出発
今日で1年度が終わる。3月31日という日がまた来た。日本にいれば少しはこの日が意識され、卒業やら入学やら世間が騒がれる。しかし、僕にはあまり関係がない。
僕は中国に住み数年が経つ。中国人ハルビン生まれの妻を持ち、「僕の人生」から「僕たちの人生」に変わって早2年以上が経つ。妻とは北京で知り合い、今の関係に至る。その経緯はここでは省くことにしよう。
僕たちは北京から上海、そして今の珠海と言う田舎街へ来た。上海に住んでいた僕たちにしてみれば、地下鉄もない、小さな小さな薄汚い街。ハッキリ言って上海の方が都会出し、発展している。
でも、なぜだろう。この珠海と言う街が良いも悪いも忘れられない街になってきているのは。
▼珠海から始めた実業ビジネス
今は僕たちの強い意思もあってか、なんとか法人設立、そして実業がスタートした。僕たちのオフィスを持ち、土日関係なくオフィスに顔を出す。そして座り慣れたデスクにつくと、休むこともなくパソコンをパチパチと打ちまくる。
隣で法人代表の妻が電話をかけ、取引先や銀行とやりとりをする。時に大きな声になり、理不尽な話の流れにくさびを入れる。
仕事があることは本当に幸せなことだと感じる。働きたくても仕事がなく、お金が欲しくてももらえない。そんな人は世界にはごまんといる。
そう考えると僕らは、世界の中でも数少ない数パーセントに入っていると思う。これは自慢でもなく、驕りでもない。ただ「運」が良かったからだと心のそこから思うからだ。
「運?」
あなたはそう僕に聞くかもしれない。そう、「運」である。
僕は、今でさえ、「和華僑ビジネスのパイオニア」と自称してしまうが、それは紛れもない「運」なのだ。
そして、これだけはハッキリ言ってたい。
「人生の勝ち負けは運。その運を掴めるか掴めないかが実力である」
ここだけに記そうと思った。なぜなら、あなたの運がここのブログに行きつかさせたから。あとはあなたの実力がその運を掴めるか、掴めないかを決めるだけだ。これは僕の力ではどうしようもない。
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僕は中国に住み数年が経つ。中国人ハルビン生まれの妻を持ち、「僕の人生」から「僕たちの人生」に変わって早2年以上が経つ。妻とは北京で知り合い、今の関係に至る。その経緯はここでは省くことにしよう。
僕たちは北京から上海、そして今の珠海と言う田舎街へ来た。上海に住んでいた僕たちにしてみれば、地下鉄もない、小さな小さな薄汚い街。ハッキリ言って上海の方が都会出し、発展している。
でも、なぜだろう。この珠海と言う街が良いも悪いも忘れられない街になってきているのは。
▼珠海から始めた実業ビジネス
今は僕たちの強い意思もあってか、なんとか法人設立、そして実業がスタートした。僕たちのオフィスを持ち、土日関係なくオフィスに顔を出す。そして座り慣れたデスクにつくと、休むこともなくパソコンをパチパチと打ちまくる。
隣で法人代表の妻が電話をかけ、取引先や銀行とやりとりをする。時に大きな声になり、理不尽な話の流れにくさびを入れる。
仕事があることは本当に幸せなことだと感じる。働きたくても仕事がなく、お金が欲しくてももらえない。そんな人は世界にはごまんといる。
そう考えると僕らは、世界の中でも数少ない数パーセントに入っていると思う。これは自慢でもなく、驕りでもない。ただ「運」が良かったからだと心のそこから思うからだ。
「運?」
あなたはそう僕に聞くかもしれない。そう、「運」である。
僕は、今でさえ、「和華僑ビジネスのパイオニア」と自称してしまうが、それは紛れもない「運」なのだ。
そして、これだけはハッキリ言ってたい。
「人生の勝ち負けは運。その運を掴めるか掴めないかが実力である」
by Mr.ブラウン
ここだけに記そうと思った。なぜなら、あなたの運がここのブログに行きつかさせたから。あとはあなたの実力がその運を掴めるか、掴めないかを決めるだけだ。これは僕の力ではどうしようもない。
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